ショーン・コネリー
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Sean Connery ショーン・コネリー | |||||||||||||||||||
1980年10月12日 | |||||||||||||||||||
本名 | Thomas Sean Connery | ||||||||||||||||||
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生年月日 | 1930年8月25日(79歳) | ||||||||||||||||||
出生地 | スコットランド エディンバラ | ||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||
ジャンル | 映画(俳優・製作) | ||||||||||||||||||
活動期間 | 1954年 - | ||||||||||||||||||
活動内容 | 1954年:デビュー 1962年:『007』 1987年:アカデミー賞受賞 1999年:ナイト授与 2006年:引退宣言 | ||||||||||||||||||
公式サイト | SeanConnery.com | ||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||
『007』シリーズ 『史上最大の作戦』 『オリエント急行殺人事件』 『遠すぎた橋』『薔薇の名前』 『アンタッチャブル』 『インディ・ジョーンズ』 『レッド・オクトーバーを追え!』 『ザ・ロック』 『リーグ・オブ・レジェンド』 | |||||||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||||||
初代ジェームズ・ボンド | |||||||||||||||||||
サー・トーマス・ショーン・コネリー(Sir Thomas Sean Connery, 1930年8月25日 - )は、スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。身長188cm
目次 |
プロフィール
スコットランド・エディンバラでアイルランド系の家庭に生まれる。先祖の地はアイルランド東部ウェックスフォード州[1]。
最初に得た仕事は牛乳配達であった[2][3]。その後イギリス海軍に従軍するも、健康上の理由で除隊し、トラック運転手、労働者、美術モデル[4][5]やライフガードなど種々の仕事を経験。1953年にはミスター・ユニバース・コンテストの重量上げ部門で3位入賞したが、その時に出場者の一人に演技の道に進むように勧められる。1954年からテレビや劇団に出演するようになる。
1962年の『007 ドクター・ノオ』でジェームズ・ボンド役に抜擢され、合計7作に出演し、知名度は世界的に上昇した。『007』降板後も様々なジャンルの映画に出演し、1987年には『アンタッチャブル』でアカデミー助演男優賞を受賞。
1998年にブロードウェイで 'Art' を製作し、トニー賞 演劇作品賞を受賞。
2000年にイギリスのエリザベス女王からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド国民党の熱烈な支持者でもある。授与式には、民族衣装キルトで正装して現れた。なお、彼は「スコットランドが独立するまで私は死んでもスコットランドに帰らない」とまで明言している[3]。
2006年にアメリカ映画協会(AFI:American Film Institute)の生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言した[6]。
2008年、78歳の誕生日にエディンバラ国際ブックフェスティバルで自伝[7]を発表し、発表会見にはスコットランド国民党のアレックス・サモンド党首も出席した[3]。
私生活
1962年に女優のダイアン・シレント (Diane Cilento) [8]と結婚し、息子のジェイソン・コネリー(後に俳優となる)[9]をもうけるが、1973年に離婚。1975年にはフランス人アーティストのMicheline Roquebruneと再婚している。
1965年のPLAYBOYのインタビューで、「女性を殴るのは別に悪いとは思わない」と発言し、シレントへの暴力疑惑が起こるが、コネリーはこれを否定した。シレントはこの件に関して沈黙を守ってきたが、2005年になって、翌年出版の自伝[10]の中で、11年間の結婚期間中、肉体的・精神的に虐待されてきたと暴露した[11]。1965年には、アルメニアで撮影中、現地の結婚式に招かれ、酔って帰ったところを先に帰っていた夫に殴られたという[12][13]。2008年、シレントは、コネリーが一人息子のジェイソンに対して、自立して生計を立てるよう、8千5百万ポンドの財産のうち1ペニーたりとも相続させないと言ったと語った[14][15]。しかし、コネリーはこれを否定し、息子との関係は良好であると語り、暴力疑惑についても争う用意があることを明らかにした。また、離婚した際にジェイソンおよびシレントの娘の教育費として8万5千ポンドの信託財産を設けたが、今日では当然もっと増えているはずだと主張した[16]。ジェイソン本人も、父は暴君ではなく、父が稼いだ金をどうしようと父次第だと述べた[17]。しかし、シレントはコネリーが34歳のとき、セラピーで(当時は合法だった)LSDを使い、それが虐待を引き起こしたと主張した[18][19][20]。
アメリカ合衆国にある自身の所属するゴルフクラブのクラブ会員ネームプレートには、自身の名前ではなく「007」というネームプレートが掲げられている[要出典]。
主な出演作品
007シリーズ
- 007 ドクター・ノオ(「007は殺しの番号」改題)Dr. No(1962年)
- 007 ロシアより愛をこめて(「007 / 危機一発」改題)From Russia with Love(1963年)
- 007 ゴールドフィンガー Goldfinger(1964年)
- 007 サンダーボール作戦 Thunderball(1965年)
- 007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967年)
- 007 ダイヤモンドは永遠に Diamonds Are Forever(1971年)
- ネバーセイ・ネバーアゲイン Never Say Never Again(1983年)
その他の作品
- ターザンの決斗 Tarzan's Greatest Adventure(1959年)
- 四つの願い Darby O'Gill and the Little People(1959年)
- 殴り込み愚連隊 The Frightend City(1961年)
- 史上最大の作戦 -The Longest Day (1962)
- マーニー Marnie(1964年)
- わらの女 Woman of Straw(1964年)
- SOS北極... 赤いテント La tenda rossa(1969年)(DVDでは『SOS北極 レッドテント』と表記)
- 未来惑星ザルドス Zardoz(1974年)
- オリエント急行殺人事件 Murder on the Orient Express(1974年)
- 風とライオン Wind and the Lion(1975年)
- ロビンとマリアン Robin and Marian(1976年)
- 遠すぎた橋 A Bridge Too Far(1977年)
- 大列車強盗 The Great Train Robbery(1979年)
- メテオ Meteor(1979年)
- アウトランド Outland(1981年)
- バンデットQ Time Bandits(1981年)
- シークレット・レンズ WRONG is RIGHT(1982年)
- ハイランダー 悪魔の戦士 HIGHLANDER(1986年)
- 薔薇の名前 Der Name der Rose(1986年)
- アンタッチャブル The Untouchables(1987年)
- プレシディオの男たち The Presidio(1988年)
- インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 Indiana Jones and the Last Crusade(1989年)
- ファミリービジネス Family Business(1989年)
- レッド・オクトーバーを追え! The Hunt for Red October(1990年)
- ロシア・ハウス The Russia House(1990年)
- ザ・スタンド Medicine Man(1991年)
- ロビン・フッド Robin Hood: Prince of Thieves (1991)
- ライジング・サン Rising Sun(1993年)
- グッドマン・イン・アフリカ A Goodman in Africa(1994年)
- 理由 Just Cause(1995年)
- トゥルーナイト First Knight(1995年)
- ドラゴンハート Dragonheart(1996年、声優)
- ザ・ロック The Rock(1996年)
- アベンジャーズ The Avengers(1998年)
- マイ・ハート、マイ・ラブ Playing by Heart(1999年)
- エントラップメント Entrapment(1999年)
- 小説家を見つけたら Finding Forrester(2000年)
- リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い The League of Extraordinary Gentlemen(2003年)
- ビリー・ザ・ヴェット Sir Billi The Vet(2005年、声優)
CM
関連項目
脚注
- ^ 英語版より
- ^ "From the Co-op with love.. the days Sir Sean earned £1 a week". The Scotsman (2005年11月21日). 2007年9月29日 閲覧。
- ^ a b c “英俳優ショーン・コネリー、78歳の誕生日に自伝を発表”. AFPBB News. (2008-8-27) 2009-7-16 閲覧。
- ^ "Even as an unknown, Sean was still a draw". The Scotsman (2003年8月22日). 2007年9月29日 閲覧。
- ^ “青年ショーン・コネリーの油彩画発見、美術モデル時代の半裸像”. AFPBB News. (2007-10-26) 2009-7-16 閲覧。
- ^ シネマトゥデイ (2006年4月18日). "ショーン・コネリー、俳優を引退". 2009年1月11日 閲覧。
- ^ Connery, Sean (2008-8-21). Being a Scot (英語). Weidenfeld & Nicolson. ISBN 9780297855408.
- ^ Dianne Cilento - Internet Movie Database (英語)
- ^ Jason Connery - Internet Movie Database (英語)
- ^ Cilento, Dianne (2006-5-4). My Nine Lives (英語). Michael Joseph Ltd. ISBN 9780718149253.
- ^ “Diane Cilento says Sean Connery abused her” (英語). UPI.com. (2005-9-4) 2009-8-1 閲覧。
- ^ “The pain of Mrs Bond” (英語). Times Online. (2006-4-30) 2009-8-1 閲覧。
- ^ Clark, Joan (2006-8-14). “Yes, Connery did beat me unconscious” (英語). Mail Online 2009-8-1 閲覧。
- ^ “Sean Connery: you’re on your own, 003½” (英語). Times Online. (2008-7-20) 2009-8-1 閲覧。
- ^ Hull, Liz (2008-7-21). “Tight Bond: You won't get a penny of my millions, Sean Connery told son” (英語). Mail Online 2009-8-1 閲覧。
- ^ Cable, Simon (2008-7-20). “Sean Connery brands ex-wife 'insane woman' after claims he snubbed son in will” (英語). Mail Online 2009-8-1 閲覧。
- ^ Borland, Sophie (2008-7-27). “'My father is NOT a tyrant,' says Sean Connery's son” (英語). Mail Online 2009-8-1 閲覧。
- ^ Scott, Paul (2008-8-8). “Sean Connery: The story of a brilliant but deeply flawed man” (英語). Mail Online 2009-8-1 閲覧。
- ^ “Connery ex-wife alleges LSD use, violence” (英語). UPI.com. (2008-8-9) 2009-8-1 閲覧。
- ^ “女は殴ってもいい!と妻をボコボコ?…封印されたショーン・コネリーの過去”. シネマトゥデイ. (2008-8-13) 2009-8-5 閲覧。
外部リンク
- Sean Connery - Internet Movie Database (英語)
- Sean Connery - Internet Broadway Database(英語)
- seanconnery.com 公式サイト(英語)
- Sean Connery Online
- Sean Connery fansite in Russia
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