外人
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「外人」(がいじん)は、「外国人」の略語。古語で「グワイジン」と発音する場合は外部の人間あるいはよそ者と言う意味になる。
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意味
「外人」との表記は日本語の語彙に古くからあるものであり、元来はよそ者、関係のない第三者を意味したものでこの場合は「ぐわいじん」と発音し現代の「がいじん」とは意味合いが異なる。現代では、「外人」は一般に「外国人」の略語で使われているが、非東洋系の外国人、特に白人・西洋人を指して使われることが多い。これは東洋系の国の人々は「中国人」「韓国人(朝鮮人)」「台湾人」のようにそれぞれの国名や民族名で呼ばれることが多いためである。また、同じアジア系の人間と異なり肌や髪の色で判別しやすい事も要因に挙げられる。非東洋人である黒人やインド人に使われることもあるが歴史的経緯から渡来する数が少なく、結果として白人を指して使われることが多い。
日本における西洋人の最初の呼称は「南蛮人」である。1542年に初めてポルトガル人が日本を訪れた際、彼らは東南アジアを経由するなど南方から船で渡って来たためこう呼ばれた。この名称は中華思想における夷狄の呼び方の一つである「南蛮」に由来するもので、南方の人々に対する呼び方として使われていた。このほかオランダ人は髪の毛が赤く見えたことから「紅毛人」と称され、その後は「南蛮人」とともに西洋人の意味として用いられるようになった。1854年の開国から20世紀の初頭までは、「異人」が「異国人」や「異邦人」の略語として西洋人を呼ぶのに用いられた。
明治時代になると、大日本帝国の領土内に住む日本人を「内国人」と呼ぶのに対し、大日本帝国外出身の日本に住む住人を「外国人」と呼んだ。「内国人」は第二次世界大戦以降使われなくなったが、「外国人」は非日本人に対する政府の公式用語として残った。このため「外人」あるいは「外国人」は、「非日本人」を指す一方で、日本国籍の有無による分類だけでなく、実際の用法において民族・人種的なニュアンスも含んだ語になっている。このような文化的要素による「外国人」を表す単語の用法の使い分けは欧米語も含めた他の言語にも見られる。また、本来は同じ意味であるが、日本語の習慣どおり略語が頻繁に会話で使われるうちに、日常語として上述の意味をも持つ「外人」と、公式用語としての「外国人」のニュアンスが異なるという現象も生まれた。
日本語においてポケットモンスターがポケモンになるなど略語は日本語の発音形式にあいまって非常に頻繁に使われる。また英語における英語のJapなどの表現と略語の「外人」がよく比較されるが、これは文法的には誤りである。日本語の略語(例:国連)は英語の頭字語(Acronym、例:U.N.)に相当するもので、英語においては単語の最初のアルファベットを取るように、日本語においては単語の最初の漢字をとることによって略語が形成された。一漢字の日本語における発音は一音か多くの場合は二音なので、英語などからの外来語にも単語の最初の一音か二音を取ることが略語の形成のルールとして適用されている(→略語)。欧米言語においても日本語においても略語は俗な表現ではない。しかし欧米言語では漢字と違い一単語そのものの発音が長い場合が多いので発音を短縮することが多い。これは俗あるいは下品な用法でありこれによってJap(Japanese)やPaki(Pakistani)などの単語が差別用語となる。日本語において朝鮮人を指すチョンがこれに当る。
日本語も含めどの言語でも「外国人」の単語が「非自国民」の意味で会話に使われることは多い。またこれはそれぞれの国の民族構成にも関わるが「外国人」が自国の民族で無いものを指す意味で使われる用法も存在する。たとえばイギリスにおいて正確には「外人」であるアイルランド人がForeignerと呼ばれることはほとんど無い。さらに「外国人」という単語を現地出身の混血や少数民族に使う差別的用法も存在する。一例を挙げれば、近年のアメリカのテレビ番組であるThat Seventies Showでその番組のただ一人の非白人であった登場人物を「The foreign one」と表現する冗談が全番組を通してたびたび使われた。しかし英語においては外国人にあたるForeignerに略語が存在しないためForeignerという単語自体が差別用語として認識されることはない。このように日常会話において外国人という単語を非自国民あるいは非自民族の意味で使う場面が必ずある。略語を会話で常用する日本語においては、「外人」がこの場面において常に使われることになる。このため特に近年まで日本における非東洋系外国人の代表であった欧米人の間で、「外人」は「外国人」という表現と違い人種・民族的意味を持つものであるという認識が広まった。また近年増えてきた混血である日本人、日本の国籍を取得した非東洋人また日本の学校に通学する外国人の子供が「非自民族」の意味で外人と呼ばれる。とくに混血児を「外人」ときには「宇宙人」と呼ぶのはいじめを目的としている場合が多い。さらに日本人が意識的あるいは無意識に外国人を特別あるいは差別的に扱う場合にも「外人」の表現が使われるため、「外人」が暗に差別的意味をもつ言葉であるという認識が日本に在住する非東洋系の外国人の間に広がった。これは「用法」と「用語」を混同することによった誤認である。これを説明するには知識を要することもあり、一般の日本人による明確な説明がなかったことにより、この誤認が日本在住の外国人の間に定着した。特に日本国籍を取得した欧米人によって「外人」が差別用語であると強く主張されることになる。上述のように、日本国籍を取得した非東洋人や混血の日本人は、人種の違いゆえに他の日本人から特別扱いされることがままあり、これらの人々が「外国人」と扱われることを嫌うこと自体は理解できよう。
さらに「外人」を略語でなく単語と見れば「外の人」つまり「よそ者」となり、外人の正確な訳は英語のAlienであると主張され、「外人」という単語が日本の閉鎖性を象徴するものであると言われるようになる。たしかに外人は平家物語などの相当に古い古語ではこのような意味があったが、この場合は外国人の略語である「がいじん」とは起源は別である。また映画「エイリアン」公開の影響もあり、「外人」は「alien」にあたるということで批判が集まった。しかしAlienの正確な日本語訳は「異人」あるいはこの略語のもとである異国人や異邦人である。これらの語が現代日本語においては死語に近いので、その代わりにAlienが外国人と訳されるだけである。外国人登録は、映画によるイメージ定着をきっかけに、日本の役所においてForeigner Registrationと訳されるようになったが、英語圏においてはいまだにAlien Registrationであり、和製英語の一例とも言える。
「外人」と全く同じ成り立ちの用語に「外車」や「外貨」や「警官」などがあるが、これで日本人がドイツ車やユーロ通貨やアメリカの外交政策をけなしているわけでないのと同じである。「外人さん」や「外人の方」など一種の敬語的用法が存在するのも「外人」の用語自体が侮蔑の意味合いを持たないことの現れと考えられる。「外人」という呼び方を嫌う外国人にこの呼称を使用したことを難じられると理解できずに当惑する人が多い。「外人」という言葉を使うと、理由はともかく相手が嫌がるということで、外国人の前では使用を控えるということになる。しかし外国人の間でも日本社会の中での外国人の共同体を認識して「外人」の表現がよく使われる。特に日本語が堪能な者のなかには自分を指して「外人」という表現を使う者もいて、単に非日本人を指す言葉であり、一般人の会話における「外人」が差別用語ではないと認識している。しかし一部の欧米人の間では外人は英語のJapと同種のものであると主張するなど、あきらかに日本語に対する理解の不足からくる誤った主張をする者がいる。これとあいまって外人を差別用語とするのは欧米人の身勝手な主張であるという認識も存在する。「外人」は語義・成り立ちの上で明らかに差別用語でないので、これを差別用語とするのは言葉狩りであると主張される。これは欧米とくに英語圏での生活を経験し語学が堪能で欧米の言語においても「外国人」という単語が日本語と同じ用法で使われていることを知っている者のあいだでとくに指摘される。
英語のForeigner(外国人)は単語Foreignの人称である。Foreignの語源はラテン語のFontanus(外の)で、Foreignの基礎の意味は外部である。日本語の「異物」の訳はForeign Objectとなる。このもとの意味が外国に転じてこれを人称表現することによってForeigner(外国人)となる。Foreignerの直訳はまさに外人(よそ者)と外国人の両方である。Native(地元出身・地元産)でないものはForeign(この場合はエキゾチックの意味)と呼ばれる。また英語などの欧米語では中東・インドから東アジアまでの出身者を意味するはずであるAsian(アジア人)は、アメリカ英語で東洋系、あるいはイギリス英語でインド系の民族・人種だけを指す用語として使われている。
最近欧米でも批判されている典型的なポリティカル・コレクトネスの一例であると主張するものもある。これは日本における言葉狩りに対する批判と同等のものである。日本の言論業界は事なかれ主義のため、差別用語であるとの主張を無批判で受け入れる傾向にある。略語の用法は、日本語の会話において単語の表現の基本になるもので、特別に「差別用語」の表現に注意を払うような者でない限り、「外人」の表現を使うのが自然である。また外人が差別用語であるという主張は用語と用法の混同にあるので、外人の「用語」を外国人に変換しても「用法」が変わるわけではない。これは言葉狩りに対する批判の全体に見られることであるが、問題の本質は一切変わっていないことになる。ただし、問題の本質が一切変わっていないからといって、一概に言い換えに意味がないと言うことはできない。
表現規制
テレビ番組においては、現在は差別的用語を使用しているという批判を避けるため、「外人」を使わず「外国人」を使用するケースが多い。出演者が番組内で「外人」と発言しているにも関わらず、テロップでは「外国人」と修正されるケースも散見される。
誇張表現を多用する事で知られるスポーツ新聞では、かつてプロ野球の期待はずれの外国人選手について「害人」という表記が普通に見られた(ゲーリー・トマソンなど)。その一方、プロレスでは来日して団体に参戦している外人レスラーをいちいち「外人選手」と呼ばずに、「ガイジン」という一つのレスラーのジャンルとして扱っているマスコミもある。当の外国人レスラーも「ガイジン」という言葉を使用する場合がある。
参照
外部リンク
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