馬肉
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馬肉(ばにく)とはウマの肉のこと。地域によってはタブー食とする社会もある。
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概要
ウマは歴史的に農耕や馬車の牽引、乗用に重用され、家畜の中でも生活の友、あるいは戦場において戦士の命を預ける戦友としてきたために、肉食に供することに激しく嫌悪感や抵抗感を持つ文化を持つ地域・個人と、そうではないものとの対照が激しい。これは狩猟の友などとしてやはり飼育者・使用者との友情を育むことが多いイヌを食用とする犬食文化に対して投げかけられる様々な感情や文化摩擦の問題と似た部分が多い。
ウマは消化能力が低く食性も狭いため、食肉専用として飼養した場合はウシやブタと比べて高コストとなってしまう。しかし廃用となった乗用馬に由来する供給が多く、一般に消費者による選好性も牛肉や豚肉に比して低いことから、馬肉は安価な原料用食肉として、ソーセージやランチョンミートのつなぎなどの加工食品原料や、ペットフード原料に利用される。ただし馬刺しなどで利用可能な部位は比較的高値で取引される。
日本の馬肉食
獣肉食が宗教上の禁忌とされ食用の家畜を飼う文化が無かった江戸時代の日本本土では、廃用となった役用家畜の肉を食すことは半ば非公然的ではあるが貴重な獣肉食の機会であった。一部の地方では馬肉は400年以上も前から重要な蛋白源として重用されてきた。現代日本の馬肉は、牛肉が高かった時代の増量材、ニューコンミートに代表される加工食品等に使用されていた冷凍トリミング(主に南米産)、熊本県、長野県伊那地方、福島県会津地方、青森県南部地方などの郷土料理として供されることで知られている馬刺しや桜鍋用の生鮮肉(現在はほとんど北米産、若干欧州産)と用途も分かれている。現代では流通している馬肉のほとんどはカナダやアメリカからのものとされているが、廃用となった競走馬の一部も食用に回されている。こうした背景から、競馬・乗馬関係者を中心に、馬肉を食べることに対して抵抗感をもつ人も少なからず存在する。
馬肉の赤身が空気に触れると桜色となることや、馬肉の切り身がサクラの花びらを想像させることから、サクラ肉(桜肉、さくら肉とも)という俗称があり、「桜鍋」などと用いられる。地方によってはけとばしと呼ぶところもある。
馬肉食を容認する社会
日本以外で馬肉食が一般的な社会はフランス語圏である。フランスでは、「仔牛のステーキ」が馬肉であることもある。他に、オーストリア、イタリア、スイス、ベルギー、ルーマニア、アイスランド、カザフスタン、マルタ、モンゴル、オランダ、ノルウェー、スロベニア、スウェーデン、カナダのケベック州などがある。これらの国や地域では、食用の馬肉が生産され、ソーセージなどに加工するなどして消費されている。世界の馬肉産業に強いのはベルギー系である。
馬肉食に否定的な社会
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では馬肉食は忌避されている。第二次世界大戦中に、牛肉価格の高騰のためニュージャージー州で食用馬肉の販売を一時的に合法化したが、戦後禁止された。またハーバード大学のFaculty Clubでは、1983年まで100年以上、メニューに馬肉があった。しかし、「馬は開拓時代からの数少ない文化」とする動物保護団体等の活動が盛んで、2006年9月7日、下院は、食用を目的とした馬の屠畜を禁止する法案を可決した。さらに2007年1月、テキサス州では屠畜生産停止の裁判所仮命令が発令され実質的生産停止された。背景には、アメリカ人自身が馬肉を食さず、産業への影響が少ないといった国内事情がある。
米国の馬の食肉処理工場はテキサス州に2カ所、イリノイ州に1カ所あり、フランスとベルギーの会社が所有している。動物愛護協会によれば、全米で毎年、約9万頭分=18,000トン=6,100万ドルの馬肉が生産されている。アメリカ馬肉の主要輸入国は、フランス、ベルギー、日本などである。
イギリス
イギリスでは、食用馬肉の屠畜と消費は法律で禁じられていない。しかし、1930年代以降、戦時中の食糧難の時期を除き馬肉食はタブーとなっている。フランス料理店用と、一部のサラミソーセージの原料用に、フランスから輸入されているのみである。
なお、英語で「馬を食べる」(eat a horse)といった場合、(丸々一頭食べられるほど)空腹であるという意味で、あくまで比喩表現である。
イスラエル
ユダヤ教では食物規定により非反芻動物を食せないため、正統派ユダヤ教徒は馬肉を食べない。ただしイスラエルでは憲法の政教分離規定により、政府が宗教上の理由で食品の製造流通を禁止することはできない。
中華人民共和国
中華人民共和国では馬肉食を特に指弾する勢力はないものの、一部の地方を除いて伝統的に馬肉はあまり食べられない。本草綱目によると、馬肉は体を冷やす食品とされる。
馬肉についての文化摩擦を題材にした創作作品など
・ゴルゴ13第59巻「マシン・カウボーイ」は、馬肉食を否定するアメリカ国民の考え方を題材としている。
栄養
馬肉には、栄養価が高く食べても太りにくいことと低アレルギー食品であることから、食肉のチャンピオンとでも言える部分がある。
- 牛豚鶏などの畜種より、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、低飽和脂肪酸、高たんぱく質。
- ミネラルとしても牛肉や豚肉の3倍のカルシウム。鉄分はほうれん草・ひじきより豊富で、豚肉の4倍・鶏肉の10倍に及ぶ。
- 豊富なビタミン(A・B12・E)
- 牛肉の3倍以上のグリコーゲンを含む。
- ペプチド、リノレン酸等も多く含まれる。
- 低アレルギー性食品である。
- 女性や高齢者、疲れ気味の人々にも適した食材として注目されつつある。
その他
基本的に馬は体温が高く、その筋肉中には寄生虫等の非常に少ない動物である。ただし内臓処理の雑な業者、生産の馬肉には、交差汚染により極まれに寄生虫が存在することがある。腸内にいる種類としては葉状条虫、馬回虫、馬円虫、頚部糸状虫等がいるがいずれも人への感染報告はない。極々まれに水や全畜種に感染するクリプトスポリジウムも確認されたことはあるが、他の生肉と比すれば問題の少ない食肉といえる。
なお日本の乗馬及び競馬に携わる人の中には馬肉を食べる事を忌避する人達が少なからずいる。しかし、競馬雑誌の競走馬の異動欄には、現役を引退する馬の異動先が記されている。地方競馬への移籍や種牡馬・繁殖入りの他に乗馬になる馬がいる。それが全て乗馬になるわけではない。それ以外にも「用途変更」という名称で姿を消す馬が相当数おり、その「用途」の中には食用もあるといわれている。実際に、廃止された上山競馬場や中津競馬場に在籍していた競走馬の末路は食肉処分だった。
また、北海道で行われているばんえい競馬では、競走に出るための能力試験(または能力検定ともいう。入厩馬に課せられる模擬競走、地方競馬のみの制度)を突破できなかったり、あるいは満足な競走成績が残せなかったりした競走馬が食肉向けに転用されており、公式サイトでも包み隠すことなくそのことが解説されている。通常、平地競馬の能力試験は、一定の制限時間をクリアすれば良いため、力一杯走る必要がなく、「馬なり」で能試を走らせることもあるが、ばんえいの場合は能試の結果がいわば「生死を分ける」ため、実戦さながらに行われる。
民間療法として筋を痛めたり打撲の患部に馬肉を貼り付けるというものが存在する。1936年、日本プロ野球巨人の藤本定義監督は、登板が続いて肩を痛めたエース沢村栄治に馬肉を肩にあてさせたという。時代は下り、福岡ダイエーホークスの王貞治監督が足の打撲で途中交代した秋山幸二に贈ったところ、彼は「これを食べて英気を養ってくれ」というメッセージだと勘違いし、平らげてしまったという。
関連項目
- コンビーフ - 馬肉を使用した商品、ニューコンミートが売られている
- 馬刺し(ばさし) - 生の馬肉を薄くスライスし、ショウガ醤油で食べる料理
- おたぐり - 馬肉の腸の煮込み
- なんこ鍋 - 馬肉の腸の煮込み
- さいぼし - 馬肉を使用した日本のジャーキー
- タルタルステーキ - 馬肉を使用したヨーロッパの料理
- ユッケ - 主に牛肉を使用した韓国料理で、馬肉を使うこともある
参考文献
- 『食と文化の謎(第4章 馬は乗るものか、食べるものか)』 マーヴィン ハリス (Marvin Harris)、板橋作美 訳 岩波現代文庫 岩波書店 ISBN 4006030460
『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。
巨人軍監督藤本は、肩を痛めた沢村の治療に馬肉を使ったという(p.18)。